耳で聴く本屋さん

雑文的雑文

内容紹介

「日本のトーキー映画はつまらない」と言われがちな状況に対して、自虐や皮肉を交えながら、つまらなさの責任の所在と構造を分析する文章。伊丹は、「日本のトーキーは今はつまらない」と現実を認めながらも、その原因は監督一人やトーキー技術だけにあるわけではなく、大衆文芸、脚本家の待遇、批評のあり方、資本家の設備投資、上映館の機材、俳優と録音・音楽の未熟さなど、映画を取り巻く社会的・産業的な構造の問題であると捉えている。